ただ悲しいときのマヨゲン其の3
「温まろう。」
昔、何かに書いてあったのを今も憶えている。何に書いてあったのかは忘れたけど、ボクではない人の言葉であることだけは間違いない。
本当に悲しいとき、人は悲しいとさえ言えない。本当にドン底にいるとき、今がドン底なんだと感じることさえできない。悲しみが身体のなかで冷え固まった人は、泣かない。冷え固まった悲しみはその人から感情を奪い、表情を奪う。
どんな理由でも原因でも、悲しみが募っていくと床が抜けるように気持ちが落ちていく。
落ちていった先の床がまた抜けていく。深い深い底に自分と、そこから頂上が見えないほど堆く積みあがった悲しみの塔が、まるで友達のような佇まいで、居る。深い深い底から、堆く積みあがった悲しみの塔をただ見上げる。ただ見上げる。深い深い底から。
悲しみは冷え固まっていて、涙も固まっているようで、涙腺も凍った涙に止められていて、感情は悲しみの塔の表面にへばりつくように。
考えている? 考えていない? 悲しみの思考にはボクは存在せず、ボクは存在せず、ただ誰かに迷惑にならないようにと、ただ誰かに重荷と思われないようにと、ボクではなく誰かに。
ボクの視界が閉じていっても、今日は終わり明日はやってくる。
例えボクが死んでも、地球は明日も回り続ける。
ボクの世界は終わるが、ボクのいない世界が何も変わらずに在り続ける。
ただそれだけの話だ。
死というのは、そういうことだ。
……。
誰か悲しむ人がいるかな。
この悲しみにいるボクが死んだら、誰か悲しむ人がいるかな。
誰か悲しむ人がいるかな。
この無価値なボクが死んでも、誰か悲しむ人がいるかな。
無価値より酷いボクが死んでも、誰か悲しむ人がいるかな。
誰か悲しむ人がいるかな。
誰か悲しむ人がいるかな。
……。
誰か悲しむ人がいるかな。
いるな。
いるな。
ボクが死んだら悲しむ人がいる。
その人のために、
この堆い悲しみの塔を
上るのか
削るのか
それとも忘れるのか
分からないけれど。
……。
ボクが死んだら悲しむ人がいる。
ならば
今日は
温まろう
身体ごと温まろう。
心ごと温まろう。
冷え固まった悲しみごと温まろう。
固まった涙ごと温まろう。
凍った涙腺ごと温まろう。
身体を解かして、心を解かして、冷え固まった悲しみを解かして、固まった涙を解かして、凍った涙腺を解かして、
温まったら
奪われた感情が戻ってくる。
奪われた表情が戻ってくる。
そう信じたい。
温まろう。
温まろう。
ただ悲しいとき、身体ごと温まろう。心ごと温まろう。
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