ただ悲しいときのマヨゲン其の2
「悲しみのダムは、ときどき放流させる」
わけもなく、ただ悲しいときってあるよ。ボクはここしばらく、笑顔のそばに悲しみがある状態だ。笑えるだけの理由はあるし、すぐそばに悲しみがあることも自覚している。
自分が壊れないように壊れないように、あるいは耐え抜けるように、じゃなければ早く時間が過ぎていくように。とか、いろいろなことを考えてみる。
「ただ悲しいとき」
ん? どうしましたLGBTQ友人代表快速のミヤゾーくん。ボクの親友。
「悲しみのダムは、ときどき放流させる」
悲しみのダム。それは悲しみを溜めるダムということか。大きな容器だね。大きすぎるとは思わないけど。それだけ悲しみの大きな人生もある。あるいは海溝のように悲しみの深い人生もある。
「ダムは治水と水源確保のために作られているよな」
そうだね、発電施設も加えられていたりもするし、最近では観光資源にもなっているみたいだね。
「悲しみのダムも悲しみを溜めるのではなく、どうにかコントロールして、自分自身を守るためにあるのだと思う。」
なるほど。自分自身を守るため。
「そうだ。放流というのは、悲しみを溜めすぎてダムが溢れたり最悪崩壊したりするのを防ぐために何かをする、ということだ。」
ボクはラッキーなことに「笑顔になれる材料」も毎日のなかにちゃんとある。そういうことでいいのかな?
「オマエはラッキーだ。笑顔になれる材料があると言えるだけでもな。まあそういう意味では俺もラッキーだ。そう言える材料はあるからな。」
無い人もいる?
「いないとは言えないんじゃないかな。」
笑顔になれる材料が毎日のなかに無い、そういう人もいる。そういう人はどうしたらいいかな。どうすれば放流できるんだろう。
「それは俺にも答えがない。放流できる何か。そういうことしか言えない。悪いが俺も万能ではないから。」
ただ悲しいとき。悲しみのダムが満水になる前に、放流する。
「泣いたな。二人して。」
ああ、あのときだね。あのときはありがとう。ボクのダムが決壊しそうなときだった。今振り返れば。
「涙を流して大声で泣くというのは、結構良いことだと心理学か何かの本に書いてあったのを思い出した。」
おいおい、LGBTQ友人代表快速ミヤゾーくん。心理学を学んでいるのかい。
「大声で涙を流して泣くというのは現実のダムの緊急放流のようなもので、悲しみのダムが決壊する前に溜め込んだものをいくらか解き放って悲しみの量を下げる役割がある、らしい。」
確かにあのときは泣けるだけ泣いたら、かなり落ち着いたよ。しかし、いまのボクのクエスチョンはどこへ消えた。
「大声で涙を流して泣く。というのはありだな。」
そうだね。でも、世の中には泣くに泣けない状況の人もいるかもしれない。
「いや、一度泣いてみよう。大声じゃなくてもいい。悲しい物語を読んでみてもいい。自分の悲しい状況を嘆いてもいい。とにかく涙を流して泣いてみよう。泣いているときの涙にはストレス物質を体から運び出す性質もあるらしい。あくびとかじゃなく。」
そうなのかい。これは生物学?
「いや、医学だろ。どう考えても。」
そこは聞こえているんかーい。
「悲しみのダムは、ときどき放流させる。」
決壊寸前の緊急放流じゃなくて、ときどき放流させるんだね。
「そうだな。そのほうがいいんじゃないか。溜めすぎるのは良くないだろう。」
それで、泣けと。
「そうだ。涙を流して、できれば声をあげて。」
泣くに泣けない人も、泣いてみようと。
「そうだ。チャレンジだ。」
それでも泣けないときは?
「次回の登場までに考えておく。」
それでは、今日を始めよう。
って、もう夕方じゃないの。
それでも、今日を始めよう。
0件のコメント