過去に耐えるためのマヨゲン其の2

「誰かを傷つけたこと。傷つけること。」

過去の自分に自問自答を繰り返すのは毎日のルーティンだ。
歩いているとき、運転しているとき、バスに揺られているとき、遠くを見つめているとき、何かに集中していないときはほとんど自問自答を繰り返している。

そんなに自分を責めるなよと誰かに言われる? そんなことはあり得ない。何故なら自問自答の話は誰にもしていないから。この世の誰にも話していないから。ただひたすら自分のなかで何なら涼しい顔をして自問自答を繰り返す。

あのとき、あの人を傷つけた。という記憶は、脳から消えていかない。毎日毎日、いつぁ誰かを傷つけた記憶が、頼みもしないのにしゃしゃり出て来てはボクに語り掛けてくる。

忘れてはいないだろう?

忘れるはずはないだろう?

忘れるわけがない。

思い出さないはずがない。

遥か千年も前から決まっていたようなタイミングで愚かさを披露するこのボクの毎日に、愚かであり続けてきた毎日の記憶が顔を出さないはずがない。

上手いコトを言ったつもりでトンデモナイことを言う。深い意味はないコトバで誰かを切りつける。

面白いことひとつも言えない、朴訥で、無駄口のない、ひたすらマジメだったはずの自分はどこへ消えた。

華やかさに憧れ、憧れの先にある自分を演じて、演じて、演じているうちに、いつの間にかひたすらマジメだったはずの自分は消えてしまっていた。

振り返ればその頃は、傷つくことはあっても傷つけることは少なかった気がする。

誰かを傷つけるくらいなら自分が傷ついていたほうがマシ。と本気で考えていた頃。

今でも、誰かを傷つけるくらいなら自分が傷ついたほうがマシ。と本気で考えているのに、何故かしら何処かしらで誰かを傷つけている。

それでも前を向く、なんてことは言えない。自分が傷つけてきた人たちのことを思えば、それでも前を向くなんてことは口が裂けても言えない。言ってはいけない。

ボクには生きている資格がない。

やっぱりボクには生きている資格がない。

そういう毎日を朝から夜まで、ひとりでいるとき、歩いているとき、運転しているとき、バスで揺られているとき、遠くを見つめているときに。

謝ることも憚られる。許してもらおうと考えるなんておこがましい。

誰の目も届かない場所に行きたい。

誰の目も届かない場所で生きたい。

それでも、それでもともし願っていいのなら、

誰の目も届かない場所で生きたい。

それでも、それがと言っていいのなら、

誰の目も届かない場所で生きていたい。

そんな場所でも生きて、誰かを支えていきたい。

誰かを傷つけてきて、傷つけていくだろう、こんなボクでも。


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