優しくなりたいときのマヨゲン其の1

「優しくなれなかったときの後悔はマジ凹む」

人と人の関係って、平等であることはもちろん普通に平等なんだけど(人権的に)、フラットかどうかとなると、本当にフラットな関係はあまりない気がする。あくまでもボクの私見です。

 でも本当に、人と人の関係でフラットな関係はあまりない気がする。
 ふたりでも誰かが優位、三人いれば誰かひとりがリーダー役、じゃなくとも二人が上位でなぜか一人だけ下民みたいなカーストチックなグループもある。四人以上だと完全なフラットは全くないよね。仕切る人と仕切られるひとが必ずいる。

 だって、人が二人以上でどこかへ行こうとすれば、そこには引っ張る人が必要だもん。
 じゃなければ後押しする人が必要だもん。本当にフラットだったら、誰の意見を優先するか決まらないうちはどこにも行けないし前には進めないもん。

 あれ? ボク、ド〇えもん? もんもんもんもん五月蠅えな、的な。

 だからね。

 優しさってどんなものかな、と考えたときに「ほかの人のことを思いやる思いや態度」なんだろうなと思ったけど、それがハッキリと見えるのは「強い立場の人が弱い立場の人を思いやる」ときなんじゃないかな。と感じているんだよね。

 ボクは弟より先に生まれて立場が強いから、弟のことを思いやったほうがいいだろう。お父さんやお母さんはボクに優しいけれど、将来はボクのほうがきっと強くなる。学校でも上級生と下級生がある。

 最近は男子と女子なんて言い出すと先生が面倒そうな顔をするのが面白いけど、昔から男子と女子のケンカがあったりもしたけど、やっぱり男子はカラダは女子より大きくなるから中学生くらいからは女子に対しては気遣うほうが良いだろうし、女子には女子にしかできないことがたくさんあるからやっぱり男子に対して気遣ったほうが良い場面もあるだろう。

 何が言いたいかというと、思いやりとか優しさとかが必要になるときや場所を考えてみると、やっぱり「強い立場の人が弱い立場の人を思いやる」ときと場所がイチバンだと思うんだよね。

 この間、駅でベビーカーを持ちあげて階段を下りてあげたよ。きれいなお母さんがありがとうと言ってくれたけど、とんでもない。できることをやっただけだ。できなければやれない。

 この間、バスのなかで知らないお婆ちゃんに席を譲ろうとしたけど、声が出なくて席を立っただけだった。お婆ちゃんがすぐに座ってくれたのでホッとしたよ。

 この間、つまらないことで弟とケンカをしてしまった。
 いやもう殴り合いの大ケンカだ。ボクのほうがカラダも大きくてチカラも強いのに、殴り合いをしてしまった。自分のことを激しく嫌いになるよ。譲ってやっても良かったんだ。なんでか、弟が生意気なクヒをきいた瞬間、兄貴なんだからボクが優先だと思ったら、カッとなってしまった。それで売り言葉に買い言葉でお互いにカッとなってしまった。
 畜生、弱いものイジメなんて、ボクはサイテーだ。畜生。

「優しくなれなかったときの後悔はマジ凹む」

優しくなりたい。ボクは優しくなりたい。少なくともボクより弱い立場の人を思いやれるくらいには優しくなりたい。

ボクは今日から、本当に優しくなろう。


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