勇気がほしいときのマヨゲン其の1

「怖いと感じるのと、怖いからやらないというのは別の話」

 何かの本でどなたかが偉そうに(?)言っていたのですが、勇気は誰もがココロのなかに等しく備えているそうで、その勇気を発動させるかどうかは自分次第だということです。

 いや、自分の体を勇気ある言動まで至らせる(発動させる)何かが勇気じゃないのかい。そしてそれはカラダのなかにはある人とない人がいるよ。とボクは言いたいのですが。

 怖いと感じるのと、怖いからやらないというのは別の話。つまり、怖いと感じるのは勇気の有る無しに関係ない。怖くてもやるのが勇気ある人。と理解すればいいのです。
ちなみのボクは心配性なだけではなくて臆病だから、一にも二にも何にでも怖さが先立つし、怖さを克服するためにいちいち考えて立ち止まらなきゃならない。

こんな自分に嫌気が差していなきゃこんなサイトまでたどり着かないと思ったりもするけど探せてよかったのか悪かったのか。良かったと信じたい今日この頃。

「怖いと感じるのと、怖いからやらないというのは別の話」

つまり、誰でも怖さは感じるけど、それを物事にトライしない理由(やらない理由)に選定するのは違うよということだね。

で、怖くてもトライする人は勇気があると。ボクにはないと思うけど。

では勇気って、何なのさ。それを其の2に書いてあるます(流行りのアーニャを意識してみた)。いやふざけろ。いったん辞めさせてもらうわ(オズワルドもさらっときました)。m(__)m

ああ、なんとなくAdoさんがアタマに流れてきたヨ。


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